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追悼。中村紘子さん。

朝起きて、TVのスイッチON!
ヘッドラインニュースを見て、驚いた。
中村紘子さん、死去。
ピアニストと言えばこの人というぐらい、私にとっては馴染みのある人。
そして、なにより特別な思い入れがある。(←過去記事「誰にも言ってないこと」)

勝手に、一方的に思い入れのある人なのだけれど、
亡くなったと聞くと何とも淋しい。

今年もたくさんの著名人が亡くなった。
以前は、ふ~んという感じ。
でも最近は感情が揺さぶられる。
きっと、親の年代だからだろう。
そして、同年代の人の訃報を聞くと、もっともっと何かを感じるのだろうね。

中村紘子さんの英雄ポロネーズ。
また、父が言った「すごいね。」の言葉がよみがえる。

まだ起きてこない長男も、お腹の中で中村さんのピアノを聴いたのだけれど、
きっと覚えてはいないだろうな。

いつもはただウルサイだけのセミの声。
今日は少し違って聞こえた朝の話。


***************
今日もお読みいただきまして、ありがとうございました

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誰にも言ってないこと。

あれだけ嫌で嫌で避けてきたのに最近よく考えている。
父のこと。


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30年近く同じ屋根の下で暮らした。
楽しかったことがあったっけ?
ひとつの話題で笑い合ったことがあったっけ?



テレビを見ていると
後からやって来た父が「そんな番組おもしろくないだろ!」と
おもむろにチャンネルを変える。

巨人ファンだった父に少しでも歩み寄ろうと
「今のプレーは○○だったね。」と話しかけると
「野球のこと分からないくせに!女は黙ってろ!」と怒鳴られた。

綺麗好きで仕事から帰ってくるなり自分の車を洗う。
夕飯作り、風呂の給湯で同時に水を使うと洗車ができない。
外のホースの水が出ないと家の中に向かって大声で怒鳴る。

いつもいつも人の都合などお構いなしだ。
だから父が帰宅する夕方になると、家族の内に緊張が走る。
ガタン!外溝の上の鉄板の音が鳴る合図とともに、
「あっ、帰って来た。」とみな無口になった。

書き出すときりがない。
でも、父が亡くなって母はそんなことはすっかり忘れてしまったようだ。
あれだけ私に父の悪行(笑)を聞かせたくせに、
今は・・・
綺麗好きだった父を褒め、
料理上手だった父を褒め、
日曜大工を起用にこなした父を褒め・・・
思い出を美化してしまっている。
人は嫌なこと、苦しかったことを忘れるようにできているからこそ生きられる。

それは分かるけど、だからといって全く180度方向転換
することはないじゃない。
だったら・・・
あの時両親の不和に真剣に悩んだ私の時間を返せ!文句を言いたくなる。
まぁ、母への不満はこの際置いておこう。




父との思い出は圧倒的に嫌な思い出が多い。だから意図的に避けてきた。
でも、この頃映像の断片が頭の中でちらつくのだ。

車の後部座敷に敷き詰められたタオル。
海水浴帰り水着のままでもいいように・・・
ジュースの入ったクーラーボックス。
お盆の帰省、長旅で喉が渇くだろうと・・・
バイクの後部座席に乗った私と妹。今にも落ちそうで必死に荷台にしがみついていたこと。
三人乗りはダメだよね・・・

必死でかけらを拾い集めて、自分が父に愛されていたと確認してる?
ちょっと哀れっぽいと自虐的になる。

でもひとつだけ、誰にも言っていないことがある。

臨月で里帰りをしていた時のこと。
地方の小さな市民ホールにあの有名なピアニストが来ると言う。
珈琲のコマーシャルにも出ていたあの人。
大きなお腹を抱えていたので躊躇していたら、父が車を出してくれた。
えっ?ピアノに興味あるの?と意外な感じ。そして何よりあの父と二人で出かける居心地の悪さ。
最初はそわそわと気持ちが落ち着かなかったが
万人受けする選曲でもあり、いつの間にか演奏に引き込まれていった。
アンコールはあの英雄ポロネーズ。
あの難曲をあれほど滑らかに、力強く・・・あぁ、やっぱりすごい!!と鳥肌が立った。
そのとき父がこちらを向いて言った。
「すごいね。」
この一瞬だけは紛れもなく父と感情を共有したと思っている。
遺影でさえ目は笑ってはいない。気負いのない父の顔を見たのは、後にも先にもこのときだけだ。

今になって何でこんなことを書いているのか、自分でもよく分からない。
学生の頃、父と子について書けといわれて、散々困ったのにね

今の私が書きたいから書く。それだけだ。

私は父のことが大嫌いだった。


今日は父の誕生日。
もし生きていれば今日で・・・81歳になる。
私は・・・
私は・・・

父のことが大嫌いだった。

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あれからずいぶん経った。
そろそろ7回忌。それまで母がもつかどうか。
今度の法事は私の仕事になるだろう。


父の最期に立ち会った。

身勝手でわがままでいつも母を困らせていた父。
男尊女卑を地でゆく根っからの九州男児。
母が泣きながら電話をかけてくる。
父は誰かに構ってほしくて仕方がなかったのだろう。
私の元に「母さんと別れるからどこかへ連れて行ってくれ!」と幼稚なことを言ってくる。
病気の母が必死で父の介護をしているにも拘らずに・・・である。
その度に、
母を助けてあげられない自分に苛立ち、
父のことが嫌で実家から逃げ出した自分の狡さを責めた。
なんでこの人が自分の父なのか?
嫌で嫌でたまらなかった。
本当に本当に苦しかった。



そんな父の最期に立ち会った。
苦しそうな呼吸がだんだん弱くなっていく。医師の「ご臨終です。」という言葉を聞いたとき
なぜだか涙がこぼれた。

あのときの気持ちはいまだにうまく説明できない。
父を慕う気持ちではあるまい。
生きることの壮絶さをまざまざと見せられたから・・・?
よく何のためにこの世に生まれたのかなんて問われるけど、特別すごい意味なんてないのだ。
あがきにあがいて苦しんで、必死に生きるだけだ。
そんなことを思った。


あれから数年。
父のことが好きかどうかと聞かれたら、やっぱり答えは変わらない。
でも、感謝はしていると答えたい。

父の死後、実家の片づけをしていて古い写真を見つけた。
母と赤ん坊の私のツーショット。
丸々とした赤ん坊の自分と、はじけるような若さを振りまく母。
セピア色の写真を眺めていて、はっとした。
向こう側に父がいるのだ。
レンズを通して私たちを見つめる父の眼差しがあるのだと・・・

どんなに嫌で逃げても逃げても追いかけて来る。
親子の縁はそう簡単には切っても切れない。


最近始めた体操教室で足指じゃんけんを勧められた。
血行促進にいいそうだ。
自分の体の一部なのに、うまく操れなくてもどかしい。
先生に指は動いていないのに、顔が歪んでると笑われた

この足どこかで見たことがある。
そう、あの病室で見た父の足の形とそっくりだ。




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